2017年12月07日 14時34分
「多くの島」を意味するポリネシア。
北はミッドウェー諸島、南はニュージーランド、東はイースター島を頂点として結んだ三角形の海域(ポリネシアン・トライアングル)に浮かぶ島々です。
独立国もありますが、いまだ多くの島は米英仏などの領土です。
豊かなトライバルタトゥー文化に恵まれ、現代のタトゥーアートに大きなインスピレーションを与えています。
有名かつ有力なトライバルタトゥーの発祥地としては、サモア、マルケサス諸島、タヒチ、マオリがあります。
サモア
イギリス連邦に加盟する独立国です。母系社会を営むことで有名で、家内での母親の権威は絶対的です。
サモアは上述の「断絶」をまぬがれた、ポリネシアでは唯一のトライバルタトゥー文化を持ちます。
また、ポリネシア全体のトライバルタトゥーの起源が、このサモアと近傍のトンガにあると考えられています。
イノシシの骨をとがらせたものを針として用い、色素には炭を用います。
その起源は約2000年もさかのぼると考えられ、古代のサモアでは、トライバルタトゥーは呪術的儀式や戦争と密接に関わるものとしてたいへん重要視されました。
図柄は、一部に曲線も用いられますが、直線で構成された図形が主で、コウモリや舟、槍など、具象物をシンボル化したものや、
「経験」や「学び」など抽象的概念をシンボル化したものが彫られます。
どの図柄をどの位置に彫るのかについて、きっちりした規則があり、これをなおざりにしてはサモアのトライバルタトゥーは成り立たないものとされます。
マルケサス諸島
フランス領。画家のゴーギャンがマルケサス諸島のヒバオア島で没しています。
マルケサス諸島には、西暦200年頃にトライバルタトゥーが伝わったとされます。
以降、大航海時代にスペイン人が渡来するまでの千数百年の間、この島々でトライバルタトゥーは独自の発展をとげました。
図柄は、やはり直線で構成されたパターンが主体で、曲線は一部。黒で塗りつぶす面積がかなり広めである点に特徴があります。
さらに、胸や背中はもちろん、両手両足の手首足首まで全身をすっぽり覆うような総身彫りである点も大きな特徴です。
タヒチ
ポリネシア、ソシエテ諸島に位置するフランス領の島。
「タトゥー」の語源はタヒチ語の「タタウ」であると言われています。
「タタウ」は、元来、呪術的な意味を込めて人骨で作られた針を、木槌などでトントンと「たたく」動作を意味する動詞です。
タヒチのトライバルタトゥーは、マルケサス諸島のものに影響を受けていると言われています。
しかし、曲線のパターンがぐっと増え、黒で塗りつぶす面積がかなり小さくなって、その分だけ描かれるパターンが複雑に絡み合う図柄になっています。
タヒチでは、聖なる力である「マナ」を持つ者は、それを持たない者にとっては影響力が強烈すぎて接近、接触が危険とされていました。
しかし、日常生活上、不用意に接近してしまうこともあるため、力を遮断する「タパ」と呼ばれる布の服を身にまとうとよいとされました。
タヒチのトライバルタトゥーは、マナを持つ者から力が不用意に漏れ出てしまうのを防ぎ、
マナを持たない者にとってはマナから身を守るバリアーの役割を持っています。
マオリ
マオリはニュージーランドの先住民です。強豪ラグビーチームのオールブラックスが試合前に踊る勇壮な「ハカ」は、もともとマオリの舞踊です。
考古学的に、タヒチから渡来した人びとだと考えられています。
マオリの伝統的なトライバルタトゥーは「モコ」と呼ばれ、顔面や頭部に繊細なパターンを彫る点に特徴があります。
文字をもたない民族だったので、タトゥーがいろいろな表現のうえで重要な役割を果たしました。
男性の場合、血族や社会的に帰属する集団の紋章にあたる紋様を顔の真ん中に彫り、顔の側面や耳の近くに個人をあらわすパターンを彫り、
それら両方がそろって苗字と名前のように機能します。
これは、顔を見せれば名前を名乗ったのと同じことで、日本の鎌倉時代の武士が朗々と名乗りを上げたのと同じことを、
敵味方が戦場で顔を見合っただけで済ませていることになります。
もちろん、敵味方の識別にも役立ちます。
女性の場合は、唇とあごにタトゥーをほどこします。あごにあるタトゥーは、その女性が既婚者であることをあらわします。
刻まれるパターンは曲線が主体で、渦巻くような複雑な紋様になります。
伝統的には、施術に針というよりもノミかキリに近いものやナイフが用いられ、たいへんな苦痛をともないました。
マオリでは、首から上の頭部は人体の中でもっとも神聖な部分とされ、ここにタトゥーをほどこすことは、高い社会的ステータスや名誉名声、
特別なイニシエーションを通過したことを象徴する、栄誉あるものでした。
逆に低い階級の人びとには、タトゥーを彫ることが禁じられていました。